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現代によみがえった富士信仰の絵札「富士山牛王宝印」

富士の信仰が記録にあらわれるのは平安時代の前期。「浅間神社」を祀ったのが始まりだと言われています。河口浅間神社は865年、富士山の噴火を鎮めるために甲斐国に初めて建立されました。これは平安時代、遣唐使が廃止される894年より30年前の出来事です。また、河口宿は奈良時代から、旅人が足を休めた「駅(うまや)」として栄えたという証もこの地区の地層から最近発見されました。

古くから富士浅間信仰の拠点として全国から多くの信者を迎えた河口宿は、神と信者の間を取り持つ神職者(御師)が多く存在し、彼らの構える宿は「御師(おし)の家」と呼ばれました。御師は、富士登山(登拝)の無事を祈願し、信者の祈願成就を願って、「絵札(富士山牛王宝印)」を渡しました。お札を摺りだすことは御師など神職に携わる者だけに許された特権で、中でも信仰心の強い信者は、装束の背中にこの「絵札」を捺してもらい、登拝に臨んだと言われています。その河口宿の御師の家に代々伝わる「絵札・富士山牛王宝印」が偶然発見され、現代によみがえったのです。
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図柄の中央に書かれている「富士山」を模様化した文字は富士山牛王宝印の最大の特徴といわれ、家内安全や五穀豊穣、安産祈願などのお札として、広く用いられてきました。山頂に描かれているのは、木花開耶姫を含む三神像で、富士浅間信仰の中心とされ、左右に描かれている合掌する猿は、山の神の化身と伝えられています。また、羽団扇が富士山を支えている図柄は、河口宿の御師の特徴であり、この牛王宝印は富士山浅間信仰の本流をおのずと示す模様なのです。
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胸に書かれている象形文字は、牛王を記号化して、生土(うぶすな)と読ませたものです。うぶすなは一般的には産土と記される地域の守り神ですが、生土は、河口宿の御師だけが使ったとされる符号で、富士山を日本総鎮守つまり日本全国の守神として表していると伝えられています。